私が社会人になった年代は折りしもバブル全盛期で、「青年実業家」「三高」などという言葉が持てはやされた時代でした。
当時、社員として働いていた会社も不動産関連の広告を扱い、不動産業者を会員にしていたため、すさまじい忙しさでした。その頃から漠然と「25歳独立」を頭に描いていました。その後不動産会社に勤務して「不動産屋として独立」が私の最初の目標になったのです。不動産という土地から生まれる人生設計の中には、様々な人間模様がありそれはまるで「人と家」を結ぶ縁結びの仲人にように思えたからです。 でも、現実は数字(売上)を上げる世界でありお客様の希望よりも、どれだけ高く売れるか貸せるかでした。
私がそんな考え方に疑問を持っていた頃にバブルは崩壊し、多額の資金が必要な不動産業を諦めかけていました。そんな時期、妊娠が分かり大きなおなかを抱えて臨月まで不動産営業をしましたが、このまま不動産業に復帰するのかどうか、もう一度「自分のできること、やりたいこと」を見つめなおす時が来たのです。
ハウスクリーニング業としての独立を選んだ理由は、小さな子供を抱えて家の中にいると気がつくことがいろいろあったからです。主婦仲間と2人で立ち上げ、1年目を目前にお互いの家庭の事情が重なり、結局、私一人でリフォームとハウスクリーニングを職人達と共にやり続けていきました。
それから4年後、主人が経営する(有)中山商事と統合して会社名を(有)ワーカーズ&ブレーンズに変更することによって、法人化しました。ですので、特に資金準備等はないまま中山商事時代の会計事務所もそのまま引き継いだ形になりました。
しかし、いざ代表取締役を交代して月々の帳簿あわせや決算準備をしてみると、会計事務所の担当者との気持ちの食い違いが出てきました。 法人の税金面や帳簿のつけ方にはまったく素人だったからです。 主人に聞いても今まで任せきりで分からないとのこと。いずれは、業務委託されている親会社から切り離されるときが来ると覚悟していた主人は、社長を交代したからには私に責任を持って乗り切ってほしかったのだと思います。それでも会計事務所の担当者にいくら質問しても理解できる言葉が返ってこないなど、サポート体制に不満をもった末、知人の紹介で別の会計事務所に替えることになりました。
その後、3期目の決算が終わったころ、キープラネットの「女性のための経営強化勉強会」に参加したのをきっかけに公認会計士の安井順子先生に顧問をお願いすることになりました。
そして、昨年から主人が今までの業務委託を辞めて正式に会社をひとつにし、仕事面でも新しいスタートを切ることとなったのです。
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