「きもの畑の案内人」というちょっと珍しい職種名で仕事をしている知人の柏樹たみさんから、熱いメールが連続的に届きました。 1通目は「問屋も興奮するほどすごい沖縄の染織品が、青山(東京)の草月会館にどっさり展示されているらしい」と。 2通目は「私、行ってきました。血が騒ぎました。増田さんもぜひ行ってね。9月29日までだから」と。
この8月、私が講師を務めたセミナーに参加してくれた彼女は「宮古上布」の夏着物を着ていました。私はそれを見て驚きました。もう、普通に見ることのできない着物だと思っていたからです。それを目の当たりにした感動を彼女に語ったことを、ちゃんと覚えていてくれたのですね。
「宮古上布」は、増田の感覚で言えば、質実にして優美、剛健にして華麗。細い糸をきっちり織った質感と、トレードマークの深い藍色とのマッチングは、織物の門外漢の増田ですら感動する逸品です。ところが、数十年前まで年間1万反以上の生産を誇ったこの布も、2001年には、わずか 7反という状況。着ている人を見かけることがいかに貴重か、おわかりいただけるでしょう。
増田も早速イベントに出かけました。名称は「清ら布(ちゅらぬぬ)展」。
宮古上布や八重山上布から紅型、琉球絣まで、沖縄県産のすべての染織品が一堂に集められていました。その見事さは、息を呑むほどでした。
会場で織物組合の方に「後継者難だと聞いていますが、本土から来て、この技を伝承しようという人はいないのですか」と聞いたところ、「います。でも、何年もかけてやっと技術を覚えても、 1反織るのに数カ月。やはりこれでは食べられません。結局、志半ばでほとんどの人が挫折してしまうのです。後継者育成は本当に厳しい状況です」との答え。
たしかに、お話を聞くかぎりでは、現代の経済システムの中では成立しにくい産業に思えます。が、絶えれば取り返しはつきません。伝統産業への支援制度をもっと強化できないものか、あるいは、民間側から「食える」アイデアが何か出せないものか……。そう考え込むうちにひとつ思うことがありました。
沖縄県内に人を「輸入」するのではなく、反対に、沖縄県外に技術を「輸出」する道はないのかと。いや、日本に限らず外国に伝える決断はないのかと。障壁や反論があることは容易に想像できますが、あえて「地場」にこだわらない逆転の発想が、地場産業を救う一案になるように思うのですが……。
「あったほうがいい」ものが、「なくなってもいい」ものと同じ運命をたどることだけは避けたい。そう願う気持ちで、今いっぱいです。
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