その「事件」は、私が小学3年生の時の「クイズ大会」中に起きました。なんて言うと、大層なことのようですが、実は他愛ない話です。
「問題です。売っているのに、売らない人はだ〜れだ?」と司会者のH田君。(売らない? わかった占いだ)。速攻で挙手する私。「増田君」「易者です」「違います」(うそ?)。「ではS川君」「占いのオジサンです」「正解!」。(おい、それって同じでしょ)。「では次の問題」(ちょ、ちょっと待ってよ)。
「事件」というのは、その時、助けてくれるとばかり思っていた先生が、一言もフォローしてくれなかったことなのです。この何十年間に、私は何度も何度もこのシーンを思い出しては、なぜ、先生は?と自問を繰り返してきました。大人びた答え方をしたので嫌われたのか。いや、可愛い子には旅をさせろで、「異存があるなら自分で何とかしなさい」という示唆だったのか。いや……。
時には、どうせ間違い扱いされるならボケれば良かったと思うこともあります。あるいは「占いのオジサン? じゃあ細木数子はオジサンか」と、からむべきだったと思うこともあります(笑)。しかし、結局いつも、なぜ、先生は何も言わなかったのか? そこに意識が向かってしまうのです。もう呪縛です。
先日、この話を知人にしたところ、「先生も易者を知らなかったんじゃないの」と、あっさり言われてしまいました。驚きました。そんな解釈があったなんて……。気が楽になると同時に、自分一人の思考の限界を思い知りました。
つらかったり苦しかったりしたら、人に言う。困ったり詰まったりしたら、人に聞く。目からウロコは落ちるわ、耳から栓は抜けるわってこと、本当にありますよね。なのに、それをしないで悶々としていることも多いものです。
私は「経営者は孤独なもの」という言葉が大嫌いです。そんなニヒルな態度で経営ができるなら結構なのですが、実際には、未知の恐怖との遭遇だらけなのが事業経営。「どうすればいいの」「もう耐えられない」「助けてくれ」。そんな言葉を吐き出したくなることが、しばしばあるはずです。そういう時、「孤独なもの」だからと、一人で苦しみ、結果、大した解決法も見いだせずに終わるか、それとも、誰かに話をして、気持ちをスッキリさせ、おまけにいいアイデアまでいただくか。どっちが、経営者の判断として正しいでしょうか。
経営者は特別な人間ではありません。働き方、生き方として、それを選択しただけです。だから、つらいことは、つらくていいのです。大事なことは、それを我慢することではなく、誰かに話すこと。そうするために、話せる相手をしっかり持つこと。そういう人間関係をつくること。むしろ、そういう豊かな人間関係に支えられて生きていけるから、経営者は大変でも楽しいのです。
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